【詳細版】500年の時を超え、花が語る相阿彌眞相の精神 —華道相阿彌流『開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』—

    プレスリリース(2025年3月10日発信)添付資料

    華道相阿彌流(かどう そうあみりゅう/本部:東京都新宿区、代表:21世家元 横地画抱/以下、「相阿彌流」)はこのたび、開祖・相阿彌眞相(そうあみ しんそう/相阿弥真相;生年不詳~1525年)没後500年を記念すべく、北鎌倉・円覚寺にて『開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』を開催いたします。

    なお、本華道展は、メディア・報道関係者向けに招待券を発行し、ご来場・取材を受け付けております。
    ご来場を希望されるメディア・報道関係者様は下記のフォームよりお申込みください(受付期限:2025年4月20日

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    開催概要

    本華展の概要は、下記の通りです。

    行事名称開祖相阿彌眞相没後500年記念華展
    会期2025年4月28日(月)10:00~16:00、
    4月29日(火・祝)10:00~15:00
    会場円覚寺 松嶺院(神奈川県鎌倉市)
    アクセスJR横須賀線「北鎌倉」駅下車 徒歩3分
    主催華道相阿彌流
    入場料無料
    ※円覚寺境内への入場には拝観料500円が必要。
    ただし、当流発行の招待券ご持参で拝観料が無料となります。

    なお、誠に勝手ではございますが、本華展は招待制とさせていただきます。
    お申込み等招待状のご持参なく当日会場へお越しいただいてもご入場いただけませんので、ご注意ください。

    『開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』開催の経緯

    本華道展は、華道相阿彌流の開祖・相阿彌眞相(そうあみ しんそう/相阿弥真相;生年不詳~1525年)没後500年を記念し、その精神と花型の継承を現代に示す貴重な機会です。

    相阿彌眞相は、室町幕府の同朋衆として8代将軍足利義政の側近を務め、美術品の鑑定絵画造園建築に携わるなど幅広い芸術分野で活躍した人物です。
    華道においても、その思想と理念を後世に遺しており、彼の名を冠する当流・相阿彌流は500有余年の時を超えて今日まで受け継がれています。

    本華展は、単に華道作品を展示する場に留まらず、相阿彌流が代々継承してきた精神と花型を通じて、花のこころと古典の本質に触れる機会となります。

    相阿彌流には、相阿彌眞相の「生花は花を生くるにあらず、心を生くるなり」という言葉が伝えられています。

    これは、花を生ける行為を通じて人間性を磨くことを重視した相阿彌眞相の精神性を象徴するものであり、今日の当流においても厳格に重んじられる道標です。

    本華展では、この相阿彌眞相の精神を体現する作品が一堂に会し、皆様に500余年の伝統とその奥深い世界観を伝えます。

    華道相阿彌流について

    華道相阿彌流は、室町時代に端を発し、500年以上の歴史を持つ華道の流派です。

    室町幕府の足利将軍家に仕えた相阿彌眞相の精神と花型を基盤とし、花を生けることを通じて精神の研鑽を図ることを主眼に置いています。

    流派のあらましは第8代将軍・足利義政相阿彌眞相の交流に端を発し、次のようなエピソードが伝わっています。

    足利義政が軍学の稽古のために相阿彌を伴って八瀬大原を訪れた際、群生する葉蘭(ハラン)が義政公の目に留まった。
    義政公は相阿彌に「これを生けてみよ」と命じたが、出先であるため花器の用意もなかった相阿彌は、馬盥(ばだらい)を花器に代用し、轡(くつわ)を花留めとして葉蘭を生けた。
    ところが、それを見た義政公は「まだ風情が足りぬ」と評した。

    そこで相阿彌は、兵士たちの演習風景を見て着想を得、彼らの陣形をヒントに葉蘭を再構成することにした。
    そして隊列の入り乱れる様を葉蘭によって表現してみせたところ、これを称賛した義政公はこの教えを後世に伝えるよう相阿彌に勧めた

    足利義政公とのこのやり取りが相阿彌流のはじまりだと伝えられており、このときの葉蘭のいけ方が、現在にまで当流に伝わる「魚鱗鶴翼の花型」の由来とされています。

    相阿彌流家元・横地画抱による葉蘭の作品例。葉によって様が魚鱗の陣・鶴翼の陣の入り乱れる様を表現する無二の造形技法を誇る。
    相阿彌流家元・横地画抱による葉蘭の作品例。葉によって様が魚鱗の陣・鶴翼の陣の入り乱れる様を表現する無二の造形技法を誇る。

    相阿彌流の花型が持つ特徴は、水平・垂直方向に加えて、前後の遠近・重なりを厳格に活用した立体的な構成にあります。

    一般に、いけばなは正面からの見栄えを重視するため、特に水平・垂直方向の平面的な造形に注力します。

    他方、相阿彌流は空間の奥行きも重視することで、作品全体に植物が持つ生命の躍動を宿らせるのです。

    この造形理念によって、相阿彌流の花は独特の躍動感や力強さを備えることとなります。
    ときに荒々しささえ感じさせるこの動的な造形法は、軍学の演習風景に着想を得たとされる当流のルーツが今なお息づいている証左でもあるでしょう。

    また、相阿彌流の華道は技巧に依存しない素朴で率直な表現を重視します。

    植物本来の生命力を尊重し、最小限の手入れで最大限の美を引き出すことを目指すこの精神は、書画や造庭にもうかがえる相阿彌の美意識とも深く通じており、500余年を経た現代においてもなお、観る者に新鮮な感動を与えてくれるのです。

    会場・円覚寺について

    円覚寺総門
    円覚寺総門〔写真:PIXTA〕

    本華展の会場である円覚寺は、鎌倉時代末期の1282年鎌倉幕府第8代執権・北条時宗によって創建された臨済宗の名刹であり、以後鎌倉時代を通じて幕府に保護されてきました。
    5つの禅寺から成る「鎌倉五山」の1つに数えられ、その第2位に位置付けられる由緒ある寺院です。

    そして円覚寺は、単に北条氏(鎌倉将軍家)ゆかりの寺院というだけでなく、室町幕府の庇護を受け足利氏(室町幕府将軍家)との関係も深い寺院でした。

    ここに、相阿彌流がこのたび『開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』開催の地とした由縁があります。

    鎌倉五山・禅寺と足利将軍家

    鎌倉時代と室町時代の間には後醍醐天皇が直接政治を執り行おうとする「建武の新政」と呼ばれる期間(1333年~1336年)があり、このときに「五山」が制定されました。

    その後政権を握った室町幕府初代将軍・足利尊氏は、朝廷から五山の選定を一任されると円覚寺を五山の1つに選びます。

    尊氏ののち、3代将軍・足利義満は五山を京都五山鎌倉五山とに分けて定め、鎌倉五山の第2位として円覚寺を厚く保護し、禅宗の広まりを支援しました。

    やがて8代将軍・足利義政の時代になると、祖父・義満と同様に義政も五山の僧たちと積極的に交流をもち、これが彼が芸術に対する造詣を深める機会となりました。

    当時は「五山文学」という、京都五山・鎌倉五山の禅僧たちによる著述活動が盛んな時期でもあり、このときの禅僧たちとの交流を通して、義政は美術のみならず文学に対する見識も高めていったのです。

    義政自身が鎌倉の地へ赴くことはなかったものの、彼は禅寺の保護に関しては最後まで政務を手放そうとせず、非常に熱心であったと言えるでしょう。

    東山文化と禅僧

    足利義政が受け継いだ足利将軍家の財産には、尊氏以来の歴代将軍による蒐集品・献上品など数多の名宝が含まれていました。

    芸術文化に強い志向性を持っていた義政は、彼に仕える同朋衆である唐物奉行(からものぶぎょう)能阿彌芸阿彌親子にその鑑定や選別を依頼し、この事業は芸阿彌の子相阿彌眞相の代に完成を見ます。

    これらの名宝は「東山御物」として、現存するものの多くが国宝や重要文化財に指定されています。

    こうした義政の治世・生涯の過程で形成された諸芸術の文化は「東山文化」と呼ばれ、武家文化公家文化に加え禅僧の文化が融合したものでした。

     「幽玄」「わび・さび」といった美意識に象徴されるこの文化は、今日まで続く日本文化的な精神・様式の萌芽でした。

    このときに茶道華道香道などといった芸道工芸も大きく発展し、相阿彌眞相もその担い手の1人だったのです。

    夢窓国師と鎌倉・室町・足利氏

    さて、義政の足跡として最も有名なものと言えば、「銀閣(慈照寺銀閣)でしょう。
    これはもともと彼の山荘として建設が進められていたもので、義政の没後に完成したものです。

    銀閣(慈照寺観音殿)
    銀閣(慈照寺観音殿)〔写真:PIXTA〕

    完成後は義政自身の遺命によって禅寺に改められ、このとき勧請開山とされたのが夢窓国師(夢窓疎石)
    禅の修行を積む過程で鎌倉へ赴き、五山うち建長寺円覚寺の僧より教えを受け、また同地では瑞泉寺(現在は臨済宗円覚寺派の寺院)を開山するなど、鎌倉の地や北条氏、そして円覚寺と非常に縁の深い高僧です。

    彼は後醍醐天皇にとり立てられ、このとき後の室町幕府初代将軍・足利尊氏と出会って師と仰がれました。

    さらに、京都五山第2位・臨済宗相国寺派の大本山である相国寺足利義満が創建する折、尊敬する師である禅僧・春屋妙葩に開山となることを求めるも妙葩は固辞し、彼の師である夢窓国師を開山とし自身は2世住職となることを条件としたため、夢窓国師は相国寺の開山ともされているのです。

    このように、夢窓国師は生前・没後を問わず足利将軍家とも強い縁で結ばれていました。

    慈照寺は相国寺の末寺に位置付けられるため、ここもまた相国寺の開山である夢窓国師を開山としています。

    同時に、義政は山荘(現在の慈照寺)の庭園を造るにあたって夢窓国師の手がけた京都・西芳寺の庭園を非常に強く参考にしたとされていたことから、義政もまた夢窓国師に対して何らかの思い入れがあったと考えることができるでしょう。

    夢窓国師と相阿彌流

    夢窓国師は、足利氏の菩提寺である京都・等持院の開山でもあります。

    初代将軍・足利尊氏の墓所でもあるこの寺院には、京都市指定名勝にもなっている庭園「心字池」があり、これも夢窓疎石の作と伝えられています。

    等持院 心字池
    等持院 心字池〔写真:PIXTA〕

    足利家に縁の深い、造庭する禅僧」という夢窓国師の人物像は、相阿彌流の開祖・相阿彌眞相によく通ずるものがあります。

    それだけでなく、夢窓国師と縁のあるこの等持院は、相阿彌流と非常に深い関連性を持つ場所でもあります。

    相阿彌流は、創始以来長らくこの等持院を本拠地としていました。
    当初は世襲制をとっていなかった相阿彌流の歴代家元には、僧侶が最も多くおり、代々等持院を拠点に活動していたと伝えられています。

    華道相阿彌流の歴史は、言うならば、当時五山派の最大派閥でもあった夢窓国師の系譜のなかに深く組み込まれていたのです。

    このようにして今日、足利将軍家に縁を持つ相阿彌流は、足利氏・夢窓国師を介して、鎌倉五山・円覚寺に強いつながりを見出しました。

    特に円覚寺は足利尊氏筆の法華経(焼失)足利義満筆の額字(現存・重要文化財)を蔵しており、足利将軍家との直接的な縁も深い寺院です。

    相阿彌流は、明治中期より本拠地を東京に移しています。
    その当流が、花の御所より遠く関東の地で開祖・相阿彌眞相の儀軌と精神を記念しようとするにあたり、北鎌倉の禅寺・円覚寺ほどふさわしい地はないと言えるでしょう。

    相阿彌流21世家元・横地画抱が抱いたこの想いに円覚寺が応えてくださり、当地での『開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』開催が決定しました。

    今回の会場となる松嶺院は、円覚寺の塔頭(たっちゅう)のひとつであり、特に静謐な空間を持つ場所です。
    禅の精神鎌倉・室町時代の息吹を体感できるこの地で本華展を開催できることを、流派一門たいへん喜ばしく感じています。

    円覚寺 松嶺院
    円覚寺 松嶺院〔写真:PIXTA〕

    ご来場・取材のご案内

    開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』は、招待制となっております。

    メディア・報道関係者の皆さまには、事前のお申込みをいただければ当流より招待券を送付いたします。

    ご観覧後に記事化・掲載をご検討いただくかたちでも結構ですので、お気軽にお申込みください。

    また、相阿彌流21世家元・横地画抱や流派関係者・出瓶者へのインタビュー取材をご希望の媒体様に関しましても、事前にご連絡をいただければお受けすることが可能です(複数社様よりご希望があった場合には、当流にて日時の調整をさせていただきます)

    インタビューの有無にかかわらず、招待券の送付を希望されるメディア・報道関係者様は下記のフォームよりお申込みください(受付期限:2025年4月20日

    Googleフォームに移動します

    皆さまのご来場・ご取材を心よりお待ち申し上げております。

    【FAQ】よくあるご質問

    本華展とその取材に関して関するよくあるご質問とその答えをまとめます。

    相阿彌眞相や華道相阿彌流をめぐる史料の展示はありますか?

    基本的に、『開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』の展示物は華道作品(いけばな)のみとなります。

    皆さまにおかれましては、花を通じてその根底にある相阿彌の息遣いをお感じいただくことを願い、流派一門、一意専心花をいけることに全霊を注ぐ所存です。

    カメラマンは同行できますか?

    可能です。明確に禁止とはしておりません。

    ただし、会場レイアウト上大型機材の使用に不向きなケースも想定されますので、作品・会場等を損壊することがないようご注意ください

    なお、本華展にご来場いただいたメディア関係者の皆さまには、会期終了後にプレスキットとして当流手配のカメラマンが開場前に撮影した写真素材を提供することを予定しております。

    記事化にあたり名称等の表記レギュレーション等はありますか?

    例として、当流や本華展の名称等を新字体で表記していただくことも可能です(「彌」→「弥」/「眞」→「真」)

    原則としては旧字体での表記を希望しておりますが、貴媒体のレギュレーションや使用フォントに合わせて適宜ご選択ください

    当流の名称について可能な表記

    華道相阿彌流、華道相阿弥流、相阿彌流、相阿弥流

    相阿彌眞相について可能な表記

    相阿彌眞相、相阿弥真相、相阿彌、相阿弥

    本件に関するお問い合わせ先

    開祖相阿彌眞相没後500年記念華展』についてご質問等がある場合は、下記の連絡先までお問い合わせください(一般のお問い合わせ・取材のお問い合わせ共通)。

    お問い合わせ先華道相阿彌流事務局 広報委員会
    担当者毘斎庵 新谷一景(びさいあん あらや いっけい)
    E-mailpr@souami.jp

    本記事の内容は、2025年3月10日にPRTIMES上で配信された当流プレスリリースの添付資料(詳細案内)を転載したものです。

    外部サイト内の当流プレスリリースページへ移動します

    円覚寺 松嶺院

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